ハラスメント天国の中小SIerから外資へ転職して8ヶ月経過しました
はじめに
オフラインでは「会社、やめちゃえやめちゃえ〜!」と言っていますが、あまり自分の転職の話をしていなかったのでこの機会に記録として残します。
とても長いですが、毒親育ちで就職した人、現職、特にハラスメントなどで悩んでいる方の一助になることを願い公開します。
前職
従業員数300人くらいの、隙間産業SIerでした。
カリスマ性があった創業者没後に子供が跡を継いだオーナー企業。
職種は外勤営業。
図面と格闘しながら寒い日も暑い日も現調や職人さんと作業したり、飛び込み営業していました。
なぜ選んだか
実家から出るために説得力のある距離の勤務地が保証されていたからです。
ESを書いていたら「テメー何やってんだ皿を洗え!」とパソコンに鉄拳制裁が下るような毒親育ちでした。
大企業の内定も持っていましたが、実家から近いところに配属されるリスクが怖すぎて蹴りました。
あとは仕事内容に興味があったのとそこそこ給料悪くなさそうなのと、創業年数が長く潰れなさそうだったからです。
退職理由
- ハラスメント役満
- 時代遅れ
- オーナー企業の闇
- 仕事内容に適性がなかった
以上四点です。
セクハラ
1年目のOJTについていた子持ち上司からセクハラを受け続けていました。いざという時帰る家もない以上、仕事を教えてもらえなくなったら終わりだと思い我慢していました。幸い仕事は熱心に教えてもらえました。
具体的には個人的な飲みに誘って手を握る、抱きしめようとする、不必要な「イジリ」があるetc…
ある日たまたま奥さまをFBで見つけてしまったのが運の尽き、誕生日を旦那に祝ってもらったという投稿があり、発狂しそうになりました。当時の恋人に相談しましたが「(セクハラされているのが)気持ち悪い」と言われ、この頃からメンタルが壊れていってたと思います。
耐えきれなくなり、勇気を振り絞り気持ちの悪いスクショを引っさげ課長に相談しましたが、要約すると下記のセリフを言われました。
「ここは中小なんだから。懲戒とか無いから。チームは変えるけどこの話は俺で止めるからね。」
とのこと。私はチームを移りました。
なお、セクハラは専務も行っており、お気に入りの女性社員を囲って会社の金で居酒屋に入り浸り、手を握ったり、食べ物にツバつけたりなど、下品な言動の限りを尽くし、挙げ句の果てに「ほっしーちゃんは可愛いのになんでこんな会社にいるの?」と言っていました。
「こんな会社」を良くするのがアンタの仕事だろーが!今すぐ現場で日夜格闘してる社員に謝れ、と思いました。
モラハラ
異動になり、2年目から忙しい中間管理職の下で働くことになりました。
自分が育てた顧客を引き継いだ部下には手足としてきめ細やか〜に指示をするのですが、私は元々新規だったので引き継ぐ顧客がほぼ無い状態。
無責任かつ放置プレイで、質問をすると逃げられました。
予算を一年前から取り進めるプロジェクト業務のため、既存顧客を持たない私は、現場の経験をろくに積めず、新規開拓しかやることがありませんでした。
他の同期はベタベタの既存顧客を引き継ぎ、順調に現場のいろはを覚えていました。
私だけが、一人での施工経験がほとんどない状況。
そして一年後に、たらい回しにされるように異動。
この頃、失恋などが重なり恥ずかしながら自殺を考えていたのですが、死ぬくらいなら…と少しずつ英語を勉強しはじめました。
パワハラ
社内イチのパワハラと有名で、ついた人全員が辞めている実績がある上司の下で働くことになりました。
現場の経験がなく知らないことだらけで足を引っ張る私に、徐々に叱責が増えていきました。
後輩がはじめてつきましたが、私のような仕打ちを受けないよう、常に怯えているのがわかりました。
周りは陰で慰めてくれたり励ましてくれていました。「(理不尽な叱責に)いつ言い返すのかな〜って思って聞いてるよ。」と。
この頃には転職したいためにTOEICを猛勉強していました。
ある日現場でトラブルが発生し、その上司に「何か手伝うことはありませんか。」と聞いたところ、
「ありましぇ〜ん!俺の前で図面を広げないでくださ〜い。邪魔だから下の階に行っててくださ〜〜い。」
と言われました。その日、お昼直前にトイレに行って戻ってきたら誰も現場におらず、携帯には「先に皆でお昼行ってます」と後輩からのメッセージが残っていました。
普通、現場は荷物番として交代で昼休憩取るのですが、私をおいて全員で出払ってました。
パワハラ対策として、ICレコーダーはSONY製の下記がおすすめです。
https://www.sony.jp/ic-recorder/prtx800/
女性は胸ポケットが無いので、ジャケットやパンツのポケットに入る商品を探すのに苦慮しました。
手帳でのメモの他、Evernoteで日付が残るよう記録していました。
結局パワハラの記録は使いませんでしたが、今辛い方はカードとして記録は絶対に残しておきましょう。
お陰様で仕事の実績だけは積むことができました。
その後の人事異動でセクハラ上司に戻されました。
時代遅れ
IoT時代についていけておらず、肝心の部分をネットワーク構築できる他社に丸投げせざるを得ない状況に危機感を覚えていました。
それでも「IT企業」名乗っていました。すごいや。
The紙文化で、承認スタンプラリーに1〜2週間かかり、他部署依頼の際は現調写真や図面、打ち合わせ議事録のプリント等、添付資料を大量に求められるのですが、肝心の依頼先部署からは後ほど必ず「データでくれ」と言われました。
書類鑑に「ご確認ください+日付印」が書かれた付箋を毎度貼る必要性が理解できなかった。
上層部の仕事を減らすため、故意に複雑にされたフロー、社内システムは散らばってグチャグチャでした。
具体的には、エクセルで作った積算をコピペして基幹システムの原価計算欄に貼り付け登録し、その画面を紙で出力して添付して、別の鑑をつけてスタンプラリーで承認をとっていました。
非効率の極み。
原価なんてスタンプラリー中に現場のトラブルで他部署に勝手に部材を発注されて動いてしまうのですが、日付と金額の整合性を合わせるのが大変でした。
オーナー企業
社内営業が盛んな会社で、無能なオーナーとその取り巻きが既得権益を握っていました。
オーナーに愛想を尽かした社員の半数が辞めていった時期があったとか。
仕事に適性がない
筆者は学生時代、ウェイトレス・居酒屋・家電量販店と、肉体労働系のバイトを3度はクビになっています。
実際に現場で手を動かし、場に対して気を配る仕事に適性が全くありません。
段取りが苦手。作業工数や工程の想像ができませんでした。
一度施工してミスしたら後戻りが簡単にできない点も辛かった。
また、上記の書類作成も致命的に苦手でした。
他人を待つことが出来ないので、独りで完結できる仕事が良かった。
どうやって転職したか
日系の企業およびCtrl+Zで元に戻せない仕事は辞めようと思い、外資系かIT系が良いと焦点を定めました。
第二新卒カードがぎりぎり使える3年目の1月までと期限を切り、新入社員時のTOEIC465→810点まで上げました。
TOEICは賛否両論あると思いますし、点数だって開示するほどでもないとは思いますが、やって損はなかったです。
自己啓発に対する姿勢として評価されたようです。
応募職種外の海外系部署に変更しての、一次面接通過のケースもありました。
書類が思った以上に通ってしまい、日程調整に苦労しました。
転職サイトはセオリー通り3つ登録しました。
リクルートエージェントは大手の紹介案件が多く、サイトのUIが使いやすく、営業が有能でとても良かったです。
次点はDoda。ハズレだったのはマイナビで、似たりよったりの案件、UIが最悪で、営業も相性がよくありませんでした。
ちなみにJACリクルートメントは「紹介できない」と弾かれました。
エージェントも人間なので、絶対に面談するようにしてください。
しがない中小の私は、リクルートエージェントからのファーストコンタクトは電話面談を希望されました。
そこで熱意を語ってアポを取り付け、後日会いに行ったあと、案件の質が激変しました。
結果として大手の外資系企業から内勤営業のオファーをもらい、4月から働き始めて今に至ります。
転職後
人生ではじめて尊敬する上司に出会いました。
前職の1年分の売上を1週間で達成できるようになりました。
肉体労働は絶望的にトロい代わりに、PCの操作は誰よりも速いことが判明しました。
紙文化から開放されました。デスク上から書類が消え、決済は驚くほど素早くなりました。
苦手な動作を必要とされなくなったことで、強みである営業力が発揮されるようになりました。
人間の心の動きを読んだり、物事の説明や、誠意ある謝罪からの説得で鎮火したりひっくり返すことはかなり得意です。
毎日何かしらの英語業務があるので、今後のResumeは前職に居続けるよりずっと充実すると思います。
給料も前より上がり、諦めていたやりたいことを取り戻しつつあります。
ただし仕事はハードで日々戦場のようです。全くまったりできません。そこは外資ですし、私は望んで選んでいるので、WLB重視する方は別の企業にしましょう。
最後に
私は過去記事の通り、毒親からの逃避のためにひたすらゲームオタクをやっていた中学スクールカースト最下層出身です。
学生時代に頑張ったことはゲームです、自分の強みなんてわかりません、やりたいことなんてありません、親から逃げたい。これが数年前の自分です。
毒親育ちだと、社会人になってからどんな世界が広がっているか知る由もないと思いますし、その前に身近な人に否定をされ続けて人生を諦めてしまう人も多いことと思います。
私はそういった人の現状を変えるために必要な手段を提供できる人間になりたいです。
今はまだお金もコネもないけれど。
まずは自分がいろんな世界を知ることから始めようと思っています。いつか背中を見せられる人になりたいです。いや、なってみせます。
さらっと記事にしましたが、当時は友人たちに本当に助けられていました。
この場を借りて改めて感謝の気持ちを述べさせていただきます。